察する・・

外国からみて侘寂などに例え日本の奥ゆかしところを

表現しますが、それは日本人が行き着いた一つの思考の中から

生まれたあいまいでもいい部分・・いい加減・・頃合いの考え方にも

あるように思います。

その中間的な要素部分で日本元来にあった思想と

外来からくる思想をうまく折り合いをつけながらまとめ現在に至るようです。

誰がいいのでも悪いのでもなく自然にまとまって定着してきたのでは・・と

日本人が備え持つ’ 察する ’ 感覚がポイントのあるのではと個人的は

思います。

建築でもそうですが、そこには既に備え付けの条件が付きものです。

それとどう折り合いをつけるか?が常にあります。

それをどう読み解くか?が常の課題であるように感じます。