住まうとゆうこと

最近特によく考える本当の意味での‘住まう’とゆうこと。

人間が生活する器とすると、当然その人間にカスタマイズされ

使いやすいように住まう人間が自ら造るほうがより実感がこもります。

器を造る作業を分業し、特化した業者がそれぞれ使う側の良し悪しを

その都度考えてはいないのではないかと?

そのために綿密に計算された私どもの設計の役割があるわけですが

無根拠な要素が存在すると、個人的に残念な気になります。

こだわりがある・ないに関わらず

どなたにも小さくてもしっくりくる要望があるはずで

それであれば時間が許せば出来ることは自ら造ることも有りでしょう。

例えプロからみて出来上がりが悪くても、そこに住まう側の思いがあります。

住まう側の‘アマチュア感‘は最大の満足度につながるように思います。

眺める満足を選ぶか?日々自ら使う満足を選ぶか?どちらを主とするか・・

デフレの波が押し寄せて久しいですが、

建築費全体の人件費の割合から考えると、

自らの設計したものが人件費を圧迫してないか?敏感にはなります。